横断検索による一極集中の回避

グーグル・アマゾン化する社会
このブログの目的であったはずのレビューをしてみます.まず,私のスタンスとしてはこの本(グーグル・アマゾン化する社会)は非常にオススメ.ただし,著者である森さんの主張とかには無関心(どちらかというと反対派).

198ページの第6章「どこまで情報処理が可能か」が重要だと判断.ちょっと長めに引用してみる.

ユーザーの代わりに,情報を検索し,整理し,提供するエージェント機能という発想は,ある限定されたサイトでは有効だろう.

(中略)

だが,すでに数百億ものウェブページが存在し,データ量がペタバイトまで達する現在,さらに追加されるメタデータを,グーグルのような汎用の検索エンジンで処理できるかは,ノービグならずとも疑問に思えてくる.

(中略)

だが,それとは別の懸念もある.それは,メタデータまでも含むほど情報量が膨大になったとき,そこまで大量のデータを保有するサイトは,ウィキペディアやアマゾンのようないくつかの大きなサイトに絞り込まれてしまうのではないか,と言うことだ.そうなると,常に同じサイトが,検索結果に引き出されてくるのではないか,という懸念がわく.

その疑問や懸念は多分正しい.だが,僕らはそれに対する回答を既に持ち合わせている.逆に言うと既に持ち合わせている技術の正当性が証明される.(もちろん画像のベクター変換じゃないですよ.)

その回答・技術とは高野先生の連想検索と横断検索だと考えている.特に後者だな.(抽象的な意味での)品質の高い複数のデータベースを横断検索することによって,意味のある検索結果を引き出すことが出来るはずだ.これは先日のFITで聞いた話の受け売りでしかない.

WikiPediaamazonもデータベースの1つでしかないと考える.当然ブログもデータベースであり,むしろ旧来のウェブと分けた方が良いだろう.これらと同列に小規模だが品質の高いデータベース群が公開されればいい.こうしてサイト(データベース)は絞り込まれるどころか,取捨選択が可能になる.

考えを進めると,取捨選択こそがパーソナライズであり,エージェント機能の役目だろう.このときGoogleの覇権はどんどん弱まるに違いない.インターネットの覇権が一極集中から個々の手に取り戻せる可能性がある(これも高野先生の受け売り).つまり,Googleもインターネットにおけるデータベースの1つでしかない,ということになる.また,個々のデータベースはGoogleのように検索エンジンと公開APIを有する必要があるだろう.そもそも品質が高いデータベースに対してなら,スケーラビリティさえ確保できればオープンソースの穏やかな検索エンジンで十分だろう.

結論としては,懸念は杞憂に終わらせられる.横断検索により僕らはGoogleからウェブの主導権を個々の手に取り戻せる.