イベント企画感想

マイクロプロセッサの誕生と創造的開発力

嶋正利さんによる講演。世界初のマイクロプロセッサ4004を設計した人。ざっくりいって、面白くて聞く価値のある講演でした。

4004はヨンセンヨン、8080はエイティエイティ、Z80はゼットエイティと呼んでいた。

4004は電卓の演算チップであるが、当初から事務処理をも目的としていた。また、マイクロプロセッサの開発は化学関係の計算を行うという目的ありきだった。

4004は2000個のトランジスタで開発する、という制約だった。RISCよりRISCっぽい。たとえば、メモリアクセスには1)アドレスを指定、2)読む、または書くと指定する、の2ステップが必要だった。8080は5000個のトランジスタで開発する、という制約だった。命令の直行性なんて望むべくもない。

最初からマルチCPUというのを考えてたが、当時の技術ではとても難しい。そこで、Z80には裏レジスタを導入してある。マルチCPUのさきがけと自負している。いや、すごいよ、まじで。

嶋さんはフレームワークと以下の機器を繋げるためにCPUを利用した、プリンタ、CRT、キーボード、HDD(ドラム式)。これらの知識がその後のチップ設計に役立った。

Z80の制御回路部分には4bitCPUが入っている。4bitCPU(4004)の経験を生かして、それが8bitCPUに反映されている。

Z80にはEnhancement Deviceが6つ入っている。当時は、知的所有権という考え方がなかったため、CPUをコピーすることができた。文字通り、写真を撮って配線情報を取得できた。これを防ぐためのダミー回路(素子)をEnhancement Deviceというらしい。3入力素子を作るが、1つは常時ONになるようにイオン注入を行う。イオン注入の有無は写真からは判別できない。コピーしただけだと、この素子の1入力がOFFになっているため、正しく動作しない。これで、コピーを防いでいた。

設計はスクッラプ&ビルド。アメリカ人は過去の資料をチームの目の前で破って捨てた。実はパフォーマンスでしかなく、必須の部分はあらかじめコピーしておいたんだろう、とのこと。ただ、そういう意気込みが必要ですよ、というエピソード。

開発は人のやるものの半歩前を行くべし。1歩先では結局だめである。

スピード感を持って仕事をすること。この感覚は若いころに身に着けることのひとつ。非常に大切。つまり、やらなくてもいいことはやらない、という仕事スタイルに収斂する。

LSI設計者&開発者の役割は、プロセス(半導体生成技術)の性質・性能を引き出すことである。プロセスの改善に手を出してはいけない。

レビューは必須である。計画を立てたとき、実行しているときなど。レビューは間違いを直すと同時に、若い人に考えを伝えることである。

大学教授時代に、LSI設計には微積分が必須なので、学生を夏に特訓した。こうせざるを得なかった。

Planをじっくり立てて、レビューをやる。これが一番重要。できる人は2週間に1回、できない人は1週間に1回の頻度。

情報・システム研究開発の今昔(いまむかし)

発表者の内容はかなり良かった。でも、場の雰囲気がいまいち。発表者、フェロー団はうまくかみ合っていたと思うが、それ以外の若手聴講者は蚊帳の外。司会の先生が発言を即すなどの誘導していくべきだと思う。あらかじめ質問内容を考えさせるとかね。研究所の元所長クラスの人たちの意見に割り込んで、質問なんてできないよ。まぁ、それほどモチベーションが上げられなかったというのもあるけど。あとで、発表者に聞いたら、僕も質問できなかった、と漏らしていたほどに。

具体的な実装などは、プロを雇って実装してもらうらしい。あちゃー、羨ましいですねぇ。私も設計だけして実装は誰かにしてもらいたいよぅ。とくに、コアと関係ない入出力の部分などを。

動画像モザイクのアプリケーション例。その1、運動会で子供を映し損ねたとき、ちかくの人の映像をもらって張り合わせる(by 発表者)。その2、ディズニーランドの各地にカメラを設置し、帰るときに子供が写っているところだけを抜き出して編集する。子供の顔はあらかじめ登録しておき、顔画像認識により子供を特定(by 白井先生)。

企業研究所では2種類のことを同時に進めなければならない。技術的な研究と喜ばせる研究。まぁ、Googleでいうところの、ショート、ミドル、ロングのうち、後半二つってことだろうな。最初のは外注しているわけだし。

個々の発表は野球で言えばヒット、ときどきホームランがある。ホームランは学位とか。結構いい線行っている例だと思うが、ちょっと補正。個々の発表はヒット、ときどき論文というホームラン、得点できれば学位なんじゃないかな。まぁ、アナロジーはなにも生まないけど。

技術的やデモ的には面白い内容。実は同期にあたるので、目の当たりにすると非常にショック。自分もがんばらないと。具体的には苦手領域から逃げないで、対処できるようになること。

あなたがやったところはどこなのか、問題設定は与えられたのか。ここが重要。それで私も思うのですが、老人はなぜ人のできることを過小評価したがるのか。いまどきの若者は、ライブラリや環境がそろっており、コーディング能力もあるので全部一人で実現できますよ。それなのに、冒頭のような質問をされると非常に不愉快。

学振の面接時に私も聞かれて唖然とした。基本的に自分のやったこと、やることしか発表していないのに、まるで大部分はほかの人の成果なんでしょ、と言わんばかりの雰囲気。今考えると、必要なライブラリは使って&使えて当たり前なので、それを前提にしているのに、その辺りの価値観がちょっとずれている気がする。他人の研究成果の上に上乗せするのが容易になったのに、どの部分がそうなのかを理解する能力が欠落しているんだろうなぁ。理解してもらう人を作るのも研究活動のうちらしいので、オープンソースにしてネットやGoogleに認めてもらい、そのうえで老人が追認してくれればいいかな。

一連の発表を聞いて。HDシーケンスなのに、全体的にはSDを拡大しただけ、一部分はSDをそのまま貼り付けている。ROIは高解像度という画像はどうだろう。まぁ、医療画像的には良くあるんだけど、通常のコンテンツや監視カメラ用途にはどうだろう。あとで、実験してみよう。同期がやってた解像度を段階的に変えるのが良かろう。

文書画像検索は、2次元バーコードの代わりになると思うんですけどね。ちっとも理解されなかった。1次元は遊ぶ余地があるけど、2次元バーコードは汚いのでデザイナーに嫌われているらしい(2年ぐらい前の話ですが)。この研究では特徴点が20点取れればいいらしいので、適当なロゴマークから特徴点を取り出せばいいだけ。点が取り出せるようなロゴならどんなものでもいいんだから、いいと思うんだけどなぁ。

新世代型データベースのための基盤技術

圧縮データ上で検索を行う。あえて索引を作らない。たとえば、数千のキーワードを同時に処理すると、数千回索引を使って処理するより高速になる。高速一方向逐次処理。データをなめる時間は一定時間なので、つまりは一定時間で応答が帰ってくる。

情報を発想力に変える連想エンジン

今回一番感激した話。まず、高野さんがどれぐらいすごい人かというと、連想、新書、文化遺産古書店街、それぞれのキーワードで1番に来る。いや、マジすげーっすよ。連想の情報学というキーワードで研究を進めている人。

検索結果(で重要なこと)は数より順番でしょ。2回、3回と(キーワードを追加して)探せばいいでしょ。

頭の中の連想 と 検索システムの中のキーワード。これを繋ぐ部分がボトルネックになっている。たとえばクリックだとかキーワード。

人が考えるキーワードは恣意的で偏りがあり、検索に適さない。連想させて得られたキーワードを取捨選択するほうが良い。

文章と単語は双対の関係にある。もうこの一言に尽きる。

良質で小さなデータベースを複数串刺しにすると、よい結果が得られる。CrossDB。Googleは自前でデータベースを構築して、主導権をネットのあちら側に移行した。CrossDBはその主導権をこちらがわに取り戻すことができる可能性のひとつである。ほんとすごいね。
企業研究者でありながら自己実現をサポートすることを、企業が考える時期に来ている。その一例として、オープンソースがありうる。企業での研究成果を公開してしまえば、本人がやめた後でもソースをいじれる。なるほどね。

Web時代のツールとしての知識検索技術

スーパークリエーターの人。未踏関連で自分が複数回エントリーできないものについては、学生の名前でエントリーさせてるんです、なんて裏話も。

これからが面白いプロセッサアーキテクチャ

微細化が進み、ソフトエラー、ばらつき、経年劣化が生じるようになった。CPUは疲労して壊れる可能性があるらしい。ちょっと衝撃的。

マルチスレッドレベルで投機実行する。実行時最適化を行う。逆にトランザクショナルメモリは有効でない(と考えている)らしい。

VLSI技術によりできるようになった研究はヤバイ。焼き直しの粋を出ないので、やめたほうがいい。

ターゲット、アーキテクチャ、ソフトウェアの3つの強調が重要。

柔軟性と性能は一定コスト下でトレードオフ。メディアプロセッサでは、もうちょっと柔軟性が必要になりつつある。その解がmany coreかもしれない。性能最大なカスタムチップでは柔軟性が足りないってことらしい。その上で、超SIMDな128CPU使おうというお話でした。トレードオフのところが実はとっても斬新だった。コストは微細化によって下がるので、なんだかうやむやにされていたせいかな。